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1章 8

last update Veröffentlichungsdatum: 20.06.2026 20:30:00

 入地さんが消え、七岸さんも土間へと戻り、夜の庭に佇むのは俺一人。

 何故か、妙な寂しさが北風と共に肌を刺す。

「しかし何なんだ彼女は……あの心の声……」

 俺は七岸さんについて考える。

 サトリというのは聞いたことがある。相手の心の声を読める人間のことだ。

「しかしあれは逆だよな。じゃあなんて言うんだ? サトラレ?」

 安直ではあるが、どうしたことか口に出して見ると思いの外しっくりときた。

 サトラレ。なるほど彼女はそういう体質か。しかしそんな非科学的な。

 俺は頭をかく。

「謎だ……。自覚はあると思うんだが、隠してるっぽいし。うーん。聞けないよなあ。気にはなるけど」

 取り敢えず外にいても寒いだけだし、様子見を兼ねて土間に戻ることにした。

 中では使用人全員が大忙しに働いている。執事の藤高とて例外ではない。

「あ、二人とも、七岸さん、どお?」

 俺が下ごしらえをしている田中さんと錦原さんに声をかけると、二人は作業の手を止めハキハキ
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  • サトラレメイド   1章 12

     そうだろうな。そしてやはり自覚があったわけだ。 「そうか、俺はそれをサトラレって名付けたが、それはどうでもいいね」 「ええ、本当にどうでもいいです」 (もう、そんな言い方ないでしょ!)   うん、七岸さんがいつもの感じに戻った。よかったよかった。 「はは、いいよ、怒らないって言ったろ? 味方だって」 「でも、生まれてからサトラレってわけではないんです」 「え?」   俺の造語であるサトラレを早速使ってくれたのは嬉しいが、そこに言及すると話が進まないので、俺は背筋を伸ばして彼女の言葉に耳を傾けることにする。 「小学生の頃、家族で山へ旅行に行ったんです。その時、村に災害をまき散らす悪霊を封じている祠というのがありまして、うっかり蹴躓いて壊してしまったんです」 「…………」 「その祠、慌てて戻したんですけど、それから私、おかしなことが起こるようになりまして、体に、霊なんでしょうか? その卵が寄生するようになったんです」 「た、卵!? 俺にはもやしか見えなかったぞ」   というか、祠を壊して呪われるなんて非科学的だ! 祠の中なんて石ころしか入っていないって福沢諭吉も言ってたぞ!   しかし七岸さんは寂しそうに首を振る。 「ええ、最初は卵だったんです。普段は隠れて見えないんですが、定期的に出てきます。発作みたいな感じで、原因はわかりません。そして一年くらいして、卵が孵りました」 「それが、あれか」 「はい。雛はすくすく育っていきました。それに伴い、私、サトラレになったんです」 「…………」   とても信じられない。しかし確かに黒いもやはあって、それがサトラレの原因となっているのは間違いないだろう。   そもそも音は空気振動であり、声帯を震わせて放たれる。しかし七岸さんの心の声は音波ではなく念波みたいな感じなのだ。直接脳に響く。   物理学的にそんなこと絶対にありえない。あるとしたらそれは、超常的な何か。   七岸さんは続ける。 「実はコレ、心の声を一定時間我慢し続けると弱くなるんです。しぼむというか。ただ、心で何かを考えると即座に復活します」

  • サトラレメイド   1章 11

    「な……七岸さん! どうした!」   しかし、そこにいたのは強盗ではなかった。   三帖の狭い部屋。畳の上には布団があって、寝間着を着た七岸さんの姿があって、他にあるものと言ったら机と座布団と衣紋掛けと鏡と着替えと数冊の小説と、それと――  黒い、もやみたいなもの。 「い、いやあああ! 見ないで! 見ないでください! あっち行け豚!」 「な、なんだ……これは……亡霊の類か?」   この科学技術全盛の大正の世にそんな馬鹿な。我が大日本帝国は御一新以来古臭い迷信を非科学的だと断罪し、この世は全て科学で証明されるのだと徹底的な怪奇現象の否定を行ってきた。俺もそんな時代の寵児として幼い頃から科学だけを信じてきたのだ。   しかし目の前に浮かぶ黒いもやみたいなものは七岸さんの体から湯気のように出ていて、しかもゆらゆらと意志を持っているかのように蠢いている。   困惑している俺をよそに、七岸さんが泣きながら叫ぶ。 「違うんです! これは! くそっ、消えてよこのクソ霊体が! もういやっ!」   完全に取り乱している。これはいかん。俺は彼女の元まで歩み寄るときちんと正座し、微笑みながら優しく背中をさすってあげる。 「と、とにかく落ち着いてくれ、な? 俺は何もしない。怖くない。俺は味方だ」 「味方……」 「ああ、だから落ち着いてくれ。あれ? 霊が消えていく……」   これはどうしたことか。黒い水蒸気みたいな霊体がどんどん薄れ、見えなくなっていったのだ。 「…………」  七岸さんはうつむき、ぎゅっと唇を噛みしめた。   言いたくないか。でもあれを見てしまった以上、黙って立ち去るわけにもいかない。俺は彼女のあの現象から、こんな仮説を立ててみる。 「これは、俺の勘なんだが、君のさ、俺……いや、おそらく他の人もそうだと思うけど、君の心の声が聞こえるんだ。今の霊とそれ、何か関係があったりするかい?」 「…………」 「言いたくなければいい。俺は見なかったことにする」   本当は立ち去りたくない。問い詰めたい。けれどそれが七岸さんを傷つけることになるのなら、俺は自分の考えを潰してでも彼女の意志を

  • サトラレメイド   1章 10

     七岸さんの激昂が、部屋にビリビリと響き渡った。 「……………………え」   一瞬、何を言われたのかわからなかった。ただ一つ言えることは、七岸さんは今、猛烈に怒っていると言うことだ。 「お金持ちだからって調子に乗らないでください。人には尊厳というものがあります。貧しい人にも、苦しんでいる人にも、どんな人にだって尊厳はあって、それを買うことは出来るけれど、買ってはいけないものなんです」 「七岸さん……」   心の声も聞こえていない。それはつまり、本音ということだ。 「お金持ちは人の人生を自由にいじる権利があるかというなら、そんなものありませんし少なくとも私は認めません。人にはそれぞれの人生があって、自分の意志でそれをくみ上げる権利があるんです。それはとても尊いもので、よそ者が勝手に触らないでください」   七岸さんはそう言って布団に潜り込み、顔すら見せてくれなくなった。   ただ心の声だけが、ちくちくと俺の心臓を突き刺してくる。 (誠二様が私のために言ってくれたのはわかる。でも、これは譲れない。これを譲ったら私は人間として大切なものを、失っちゃう……)   そうだ、俺はなんて傲慢だったんだ。幸不幸で人間の価値を判断してしまっていた。   俺はきちんと姿勢を正すと、畳に額をこすりつけながら誠心誠意謝罪する。 「あ、ああ。ご、ごめんなさい。君の誇りを傷つけて、本当に悪かった」 「反省してるなら、今すぐ出て行ってください」 (くすんくすん……ごめんなさい、誠二様……)   全くその通りだ。一言一句反論の余地もない。 「……わかった、本当にすみませんでした。二度とこんなことは言いません」   俺は土下座した姿勢のままそう言うと、そっと音を立てずに起き上がり、黙って部屋を出るのだった。  廊下に出たところで俺は壁に寄りかかり、窓の外に浮かぶ欠けた月を見つめながら、ふう、と息をついた。 「怒られちゃったか。いや、そりゃ当然だな。俺はなんて傲慢なことを……っ!」  俺は我慢できず、償いを兼ねて体をひねり、頭を壁に打ち付けた。しかしそれはただの自己満足に過ぎない。   た

  • サトラレメイド   1章 9

     その後、水を死ぬほど飲んで便所でひとしきり吐いた後、七岸さんのお見舞いに向かうことにした。彼女は俺と違って重傷だったのだ。一命は取り留めたが。   ちなみにあの緑の液体は即捨てさせた。あんなの食ったら死体の山が出来る。   さて、お見舞いだが、部屋に入るや否や、布団に篭もっていた七岸さんが顔を茹でたタコみたいに真っ赤に染め、泣きながら叫び出す。 「な! 何しに来たんですか? 私を笑いに来たんですか? このクソ豚野郎」 「笑わないよ。大丈夫? 七岸さん」   俺は構わず笑顔で彼女の脇に座り、ねぎらった。 「見ての通りですよ。ぺっ」 (せっかく心配してお見舞いしにきてくれたのに、その態度はないでしょ!)   心の声については何も言わない。それよりも絶対聞くべきことがあるのだ。 「え、えーと。七岸さん。料理って、普段やってるの?」 「……味わっての通りですよ」 (ごめんなさい、料理、出来ないんです……)   やはりそうか。しかしそれにしてもあれは異常だった。一体何をどうすればあんな鍋が出来るのか。   さて、質問ついでにこっちも聞こうか。 「ねえ、七岸さん。二つ聞きたい。一つはその心の声が聞こえること。君、流石に自覚あるよね? もう一つは、どうして奉公に?」 「……だ、旦那様には……お伝えしてますので、お聞きになれば、よろしい、かと」    そうか、お父様は知っているのか。でも、と俺は前置きして。 「できれば、七岸さんの口から聞きたいな」 「なんでですか?」 「なんていうのかな、七岸さんって凄い一生懸命でさ、なんかその」   言うべきか、言わないべきか。   いや、ここは正直に自分の気持ちを伝えよう。 「惹かれた」   まあ恋心ではなく、興味を引いたというべきなのだが、ちょっと言葉が強すぎたな。   実際、ぼんっと脳から湯気が出る七岸さん。 「はあ!? いきなり何言ってるんですか? 脳にウジ湧いてるんじゃないですか!」 (この人……やっぱり、バレてる……。でも、惹かれたって、私なんかを、なんで……うう……言う

  • サトラレメイド   1章 8

     入地さんが消え、七岸さんも土間へと戻り、夜の庭に佇むのは俺一人。   何故か、妙な寂しさが北風と共に肌を刺す。 「しかし何なんだ彼女は……あの心の声……」   俺は七岸さんについて考える。   サトリというのは聞いたことがある。相手の心の声を読める人間のことだ。 「しかしあれは逆だよな。じゃあなんて言うんだ? サトラレ?」   安直ではあるが、どうしたことか口に出して見ると思いの外しっくりときた。   サトラレ。なるほど彼女はそういう体質か。しかしそんな非科学的な。   俺は頭をかく。 「謎だ……。自覚はあると思うんだが、隠してるっぽいし。うーん。聞けないよなあ。気にはなるけど」   取り敢えず外にいても寒いだけだし、様子見を兼ねて土間に戻ることにした。   中では使用人全員が大忙しに働いている。執事の藤高とて例外ではない。 「あ、二人とも、七岸さん、どお?」   俺が下ごしらえをしている田中さんと錦原さんに声をかけると、二人は作業の手を止めハキハキと答える。 「あ、誠二様。いい子だと思いますよ。初日なのにすぐ覚えましたし」「それと、変わってますね。なんか、いい子なんだけど、変わってますね」 「あー……そうねえ」  サトラレだもんな。  と、七岸さんが鍋の前に立ち、おたまをぐりぐり動かしているのが見えた。 「あれ? 七岸さんに料理させるの? 初日なのに?」   俺の質問に、田中さんがにこやかに答える。 「さつきちゃんは他の仕事も完璧でしたから、ここは思い切ってやらせてみました。藤高さんの許可もいただいています」 「本当か藤高?」   大根をかつらむきしている藤高がこちらを見て、 「はい。女給経験があるのなら出来ると思いまして。差し出がましかったでしょうか?」   と訊ねてきた。 俺は即座に首を振る。 「いいんじゃないかな。当家の方針としてはチャンスはどんどん与えないとね。実績を上げれば賃金も上がるし、七岸さんにとってもいいことだよ。で、これは……何?」   そう言って七岸さんがいじっている鍋を見て……俺

  • サトラレメイド   1章 7

     俺は一端土間を出て、外の空気を吸う。もう空は真っ暗で満天の星々がきらきらと輝いている。月は少し欠けているな。   肌をえぐるような凍てつく寒さが俺の全身にまとわりつくが、不思議と不快ではなかった。冬の透徹した空気が俺の肺に入り込む度に心が洗われるよう。   夕飯まで外で体操でもしようか。そう思って屈伸を始めた時、がちゃりと音を立て、七岸さんが出てきた。もう出来たのか? いや、手に何か持っている。円筒状の物体だ。 「あ、七岸さん。それは?」 「見てわかりませんか? 目が腐ってるんですか? クズ野菜などのゴミ出しです。これは裏に置いておけばいいのですか?」   あ、それゴミ箱だったのか。俺は頷き、蔵の脇にあるゴミ置き場へと案内する。 「ああ、明日の朝捨ててきて貰うから、今日は裏にまとめておいてよ」 「わかりました……意外と量が多いですね」   うんしょうんしょと声を出しながら一生懸命ゴミ箱を運ぶ七岸さん。なんかかわいい。 「使用人多いからね。食べ物はいいものを与えたいから割と金かかるんだ。だから賃金が安いのは勘弁して欲しい」   出来ればもう少し賃金を上げてやりたいが、これでも精一杯なのだ。最近米が非常に高い。シベリア出兵から一気に高騰して全国各地で一揆が起こったのは記憶に新しいが、問題は一揆が沈静化しても結局米価は下がらなかったのだ。   特にうちは亀ノ尾の一級品を使っていて、しかもおかわり自由にさせているのでここにかなり金がかかっている。藤高が安い愛国にしたらどうかと提案してきたこともあるが、それはダメだ。愛国なんて安い米を一生懸命働いてくれる彼女たちに食わせたくはない。 「仕方ありませんね。……あら?」   七岸さんがゴミ箱をゴミ置き場に置きながら、家の外へと視線を移した。   なんだろうと思って俺も外を覗き込む。するとそこには大通りのど真ん中を我が物で走る――牛車があった。 「げ、あ、あの牛車は……」   牛車。言うまでもなく平安時代の乗り物である。鈍足な牛に籠を引かせる乗り物だ。大正明治はおろか江戸時代ですらそんなもの走っていない。言うまでもないことだ。   でも走っている。

  • サトラレメイド   1章 6

     その後、俺は自室に戻ると私服に着替えて勉強を行う。壁にかけられた時計を見ると六時。そろそろ夕飯の時間だ。   七岸さんの様子が気になる。俺は鉛筆を机の上に置くと、ちょっと覗くことにした。   すると廊下でばったりと藤高に出会ったので、これ幸いと訪ねてみる。 「藤高、彼女の仕事ぶりはどうだ?」   藤高はきちんと気をつけの姿勢を取り、ハキハキと答えてくれる。 「はい、誠二様。真面目に丁寧によくやってくれています。いい仕事ぶりですな。女給経験があるのですぐに覚えました」 「それはよかった」 「ただ……やはり」  

  • サトラレメイド   1章 5

     挨拶を終えた後、俺は七岸さんを地下にある使用人部屋へと案内した。   市川家には大小十五の部屋があるが、そのうち三つが地下にある。三帖一間の小さな和室で、ここを藤高以外の使用人が使っている。 「取り敢えず七岸さんはこの部屋を使ってくれ」  俺はドアを開け、七岸さんを中へと招いた。   七岸さんはトランクを置くと、驚いたようにキョロキョロと見回す。 「個室なんですね」 「ああ、うちの使用人には一応全員個室を与えている。まあ三帖しかないけど、そこは我慢して欲しい。君、学校とかは……」 「女学校は辞めました。言わなくてもわかるでしょ

  • サトラレメイド   1章 4

     その後、部屋や制服への着替えは後回しにし、まずは他の使用人たちに紹介をすることにした。場所は同じ応接室。使用人たちを呼び寄せる形だ。 「えー、みんな、今日から奉公して貰うことになった七岸さん。さ、ご挨拶を」 「七岸さつきです。それにしても成金趣味丸出しのクソ屋敷ですね。相当甘やかされて育ってきたのでしょう。クソですね」 (キャー! どうしてこんなこと言っちゃうのよ! 若様に失礼でしょうが! ああもうこんなこと言ったら嫌われちゃうじゃない! 大事な初日なのに!)   顔を真っ赤にさせ、両手で頬を押さえながら泣き叫ぶ七岸さん。 「「「………

  • サトラレメイド   1章 3

    結果を言うなら、俺の圧勝に終わった。 「ふん、他愛もない」 「馬鹿な……」「なんだ、こいつ……」   俺はマントをばさっと翻し、駆ける。こんな雑魚どもの相手などしてられないのだ。 「さて、これはいかん。大遅刻だ。急がねば!」   とはいえこれではどう考えても間に合わない。家につくとしたら四時十五分、いや、下手したら四時半くらいになる。   ちらりと、道の端に自働電話が見えた。自働電話とは道ばたに設置されている電話のことで、お金を入れることで通話が出来るという画期的なサーヴィスである。雨宿りも出来るよう小型のボックスに包まれていて、至れり尽

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